COLUMN

コラム記事

醗酵裏話「糀屋が糀を作るコツ」②

醗酵裏話「糀屋が糀を作るコツ」②

梅小路醗酵所でアドバイザーを務めております、ハッピー太郎こと池島幸太郎です。

さて、前回「糀屋が糀を作るコツ」の第一回目ということで、
*最初が肝心
*ゴールをイメージする
*苦労が目的とならないように
の3つについてお話しさせていただきました。

今回、もう少し深掘りしたお話をしていきましょう。「糀作り論」と「糀屋としての人生論」が交錯していきます。

麹と糀

糀屋として起業したとき、私はすでに酒蔵で12年仕事をしておりました。酒蔵での麹作りというのは繊細で几帳面な温度/湿度管理、そして麹菌の動きに四六時中目を光らせるわけです。そんな仕事を身につけておりましたから、私は「糀屋なんてちょろいものだ」と甘く見ていました。しかし、酒蔵仕様の「麹」というのは、味噌屋の「糀」とは根本的に違うことをそのときにわかっておりませんでした。

酒蔵の麹とは、「日本酒」という液体が美味しくなるための麹です。米と米麹だけしか使わないというストイックな酒類「日本酒」の世界。クラフトビールに比べて限られた原材料だからこそ、その内容を深掘りしていく方向へ技術は進化していきました。米麹に関しては、お米を削ることのほかに「麹菌」の開発や、麹を育てていく時の温度管理も独特の温度経過にトライするようになります。

麹菌の開発では「雑味や苦味が出づらい」麹菌、「糖化酵素が強く出る」麹菌、「液化酵素と糖化酵素のバランスが最適な」麹菌などなど。単菌の開発ではなく、菌を複数ブレンドすることでありとあらゆる酒蔵の要求に、種麹業界の皆様は対応されてきました。
また研究機関(酒類総研や県の工業試験場など)の論文もあり、麹菌がどの温度帯でどのような酵素を出すのかというデータは広く知られるところとなり、それをもとに「緻密な温度管理」を酒蔵の麹作りは実現します。例えば33〜38度を一気に通過させて「タンパク質分解酵素」をできる限りださせないようにします。それは通常の温度管理では無理で、麹室の室温を突然一気に上げることで強制的に麹の品温を上げます。私も自分のレシピの酒の麹作りでやりました。そのときはたった1時間でも目を離すことが許されないようなピリピリした感覚だったことを覚えております。

そのようなある意味「ストイック」な技術開発は、全て「透明な液体」日本酒をいかに美味しく造るかというためのもの。酒蔵やその関係業者・関係機関が一緒になって努力してきた結果です。その努力たるや、業界にいた私は今でも「すごかったな」と本当にリスペクトしています。そして今でもその努力は継続されていることでしょう。

しかし、その酒蔵の「麹」はあくまで「透明な液体」日本酒を美味しく造るものであるということを、私は本当の意味で理解したのは、独立して「味噌、甘酒用の糀」を作り販売するようになってからでした。

誰のための糀なのか

私が自作の糀は最初はまだ酒蔵仕様の「麹」でした。緻密な温度管理に裏付けられた「安定した酵素力」、そしてデータに裏付けられた温度誘導による「糖化酵素の強さ」。誰にも負けるとは思っていませんでした。甘味は強く出ていて強烈でした。
当初より私を応援してくださり購入してくださる方がいました。そしてその方は自分でも糀を作り、白味噌を自作している人でした。あるとき。
「粒が残りやすいので、もう少し柔らかくなりませんか。出来立ての糀の具合はどんな感じですか。」
酒蔵の麹は最後は乾燥気味に仕上げます。ぱらっとしてます。それが「当たり前」でした。それでよいのです。なぜなら、日本酒は米、米麹と、大量の水で仕込むのです。乾燥した硬い麹でも大量の仕込み水があるから発酵が進みやすいのです。
でも、その人は味噌を仕込むために「柔らかいふっくらとした糀」が必要でした。その人の白味噌の発酵期間は冬の室温で3週間ほど。つまりその期間中に糀が発酵してそれなりに溶けて、それなりに甘みがでる糀が必要ということでした。水分量が比較的多く、手触りの優しい、そのまま食べて美味しいような糀をお求めだったのです。
当時私の糀を応援して買ってくださる方はとても少なかったです。1kgの糀をご購入いただくことがどれほど難しいか、当時の私は壁を感じていました。売れなきゃ生きていけない。売上をあげるために私は自分の酒蔵で麹をつくっていたというプライドなんてかなぐり捨てて、どんな糀ならこの目の前の人が喜んでくれるのだろうか。そんなことを考えるようになりました。麹作りから「糀」作りへ、大転換した瞬間でした。

ものづくりの根拠とは

麹作りから「糀」作りへ。それは私にとって、糀作りだけでなく、ものづくりの考え方が大きく変わった瞬間でした。それまで私は「自分の哲学」「ものづくりをする自分」を表現する、つまり誰かに自分自身が認められるためのものづくりを志向していたように思います。その時はしんどい仕事を引き受け人一倍仕事をしていたにも関わらず、かえって周りの人とうまくいかなかったり、居場所を失ったりしました。もちろん悪かったことだけではなく、努力をする理由になったので、技術や知識が身についたということもあります。
しかし、起業してしばらく売上がまったく上がらず、麹と糀の違いを突きつけられ、自分の作っているものは誰のためになるのかを真剣に考えるようにならざるをえませんでした。そして、酒蔵の麹とは違う柔らかい糀を作ることができるようになり、「これならみんなに宣伝できる」と評価されるようになりました。自分の考えは一旦横に置いて、誰かに必要とされるものづくりをすることで、自分の技術の居場所がある。そう実感しました。言い換えれば「職人」に徹したということです。ものづくりに独りよがりではない根拠が芽生え、目の前のお客様の役に立つ言葉で説明できるようになり、結果自分が作ったものが人に必要とされるようになりました。

自分が作ったものが必要とされる。感謝される。そして感謝をもってものづくりする。この好循環が芽生えるのに起業してから3年かかりました。その間にたくさん傷つき、失ったものもあるのですが、私にとって必要な遠回りだったように思います。そして「誰かに肯定されたい、評価されたい焦り」から自由になり、少し楽に生きられるようになったのでした。

【伝える人】 ハッピー太郎 / 池島幸太郎

酒蔵の蔵人12年の経験を活かして独立。2017年に麹をメインとした発酵食品工房を滋賀県彦根市で開業。https://happytaro.jp/

糀・味噌製造をメインとして鮒寿司なども製作。手前味噌の会では痒い所に手が届く解説で好評。発酵のコツを言葉にすること、発酵研究の文献探索、発酵職人探訪が好き。2021年12月に長浜市「湖のスコーレ」へ移転して、どぶろく醸造の免許を取得し醸造を開始。中でも副原料入り低アルコールどぶろく「something happy」シリーズは今までにない体験の飲み物として注目を集めている。

画像に alt 属性が指定されていません。ファイル名: 12202021photo027web-1024x683-1.jpg